『人生なんて無意味だ』
短い一生の中で、いつまでも心に残る本と出会うことができるのは、なんと幸せなことだろう。数え切れないほどの著者の中から、1人と出会うのだから。
ぼくがこの本に出会ったのは、中学1年生の時だった。
誕生日プレゼントに本を買ってあげるわよ、という祖母に本屋に連れて行ってもらったのだが、とくにお目当ての本があるわけでもなく本棚から本棚へあてもなく彷徨っていた時、ふと目に留まったのだった。
『人生なんて無意味だ』
ぼくの心を射止めるのには、このタイトルだけで十分だった。それにしても強烈なタイトルだと思う。頭から人生の意味を否定しにかかってくるのだから。
本の舞台は、デンマークの田舎町。主人公たちは、当時の僕と同じ中学1年生。
「意味のあるものなんて何もない。それはずっと前からわかってた。だから何をしたって無益だと、たった今、気がついた。」
こう言って、ピエールという男の子が突然学校を辞めてしまうところから、この物語は始まる。ピエールは学校に行かず、通学路にあるスモモの木の上に腰掛けて、毎日クラスメートに言葉を浴びせるのだった。
「みんなただのお芝居だよ。生きてる振りをしてるだけ。それをあくせくやってるだけさ。」
「意味のあるものなんか何もないって、どうして今すぐ認めないのさ。認めて無の世界を楽しめばいいじゃないか。」
クラスメートたちは、何かピエールに真実を言い当てられたような気がして、けれどもそれを否定しようとして、「意味」を「形」にしてピエールに見せようと決める。つまり意味があることをピエールに証明しようとする。
その方法は、みんなの大切なものを出し合って「意味の山」を築くことだった。古い人形やビートルズのカセットテープ、想い出の写真から始まり、髪の毛、処女、亡くなった弟、人差し指…、次第にエスカレートしていく“大切なもの”。
結末は、決して明るいものではない。著者は問いかけているのだ。人生に意味はあるのか、あるとすればそれはどこにあるのか、と。
きっと誰しも、人生のどこかのタイミングで、こうした問いにぶつかり、悩むのだろう。避けては通れない、そんな気がする。
ぼくの場合は、人よりも少しだけ早かったように思う。小学2年生の時、幼稚園時代から仲の良かった同級生のMが突然亡くなったのだった。
その知らせが入った時のこと、葬式の時のこと、今でも鮮明に覚えている。それだけショックだったのだろう。雨の中傘もささずに、ぼくは霊柩車を見送った。その時にぼくは、もうMと二度と会えないことを実感して、初めて泣いた。
なぜMが死ななくてはならないのか。なぜ他でもないMなのか。神様に聞いても、返事はなかった。
気が付くと、あれから13年が経っていた。
自らが死に直面した時、身近に死を経験した時、きっと人は自らの人生を振り返り、これからの人生を見つめ、真剣に生きる意味を問うのだろう。
ぼくもそうだった。
学校に入学し、やがて卒業し、会社に入社し、やがて定年退職し、老後を楽しみ…。人生とはそのように社会によって定められたレールを進むものではなく、いつ終わるのかわからない不確かなものであることに気付くのだろう。
何を成し遂げたかではなく、過ぎてしまったかけがえのない時間にこそ、人生の意味があることに気付くのだろう。
だからこそ、今この瞬間が輝くということ。自分の心に素直になるということ。それだけが意味のあることだということ…。
振り返ればMの死は、ぼくにたくさんの大切なことを教えてくれた。
亡くなった者は残された者に勇気を与えてくれる。大切なことはその声に耳を澄ますことができるかどうかなのかもしれない。Mは僕の心の中に生き続けている。
そしてピエールは今もぼくに問い続けている。
ぼくがピエールのクラスメートだったら、一緒に学校を飛び出し、スモモの木の上に腰掛け、青空を見上げて、笑い合いたい。人生とは、自由だね、素晴らしいね、と。